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2005年9月4日日曜日

バリ島現地買付 2005年9月

いつもは成田、たまに羽田。この時はなぜか仙台から飛んだんですよね。山形市の家から近くていいけど航空券が高いから…たまたま安かったのかな。覚えてないです。

これはグアムの空港っぽいなー。ということはグアム経由デンパサール行きのコンチネンタル便だったと思われます。

ここで朝食を食べているということはサヌールのユリア2(ドゥア)っていう安宿に泊まったんだな。水シャワー・ACなし・アメニティなし・簡易なベッドとシャワーとトイレだけの部屋。1泊朝食付きで2人で1000円しないくらいだったと思います。

今(2019)のようにスマホもWiFiもない時代。当時じゃらんじゃらんではアルバイトさんがいて日本で店番をしていてくれたので、パスワード制の掲示板を作って、インターネット屋さんに行って日々の連絡を取ってました(懐) 10分で2000ルピア(20円くらい)とかで利用できたんだけど、回線は遅いし画像なんかは送れない感じでしたね。

カーゴ会社さん。買い付けの強い味方。

いろんな工房やショップを回って買い付けします。

お腹がすいたら安くて美味しいバリのローカルフード。これは多分デンパサールの中心地にあるミークリティンジャカルタって店のミー(麺)ですね。

ここはデンパサール中心地のジャランスラウェシっていう通りで布問屋さんの街。

布屋さんで生地を買います。

すっかりなじみになったテーラー屋さんに持ち込んで加工してもらいます。じゃらんじゃらんオリジナルのエプロン…当時、すぐに売れちゃいましたねー

 あ、ここはサテ屋さん! 大繁盛店になったみたいです。→この記事

 買い付けたザッカ、作ってもらったものなどをカーゴ屋さんのトラックで回収して回ります。それをカーゴ屋さんの倉庫にもっていって丁寧にパッキングして、税関を通すリストを作って…現地ではやること満載なのです

記事内の写真は2005年当時の物ですがこの記事は2019年7月25日に書きました。

2005年2月17日木曜日

バリ島現地買付 2005年2月

マイナス5℃の山形市から成田へ。そして常夏のバリへ。
確かこの日は東北道の那須あたりが雪で通行止めで下におろされたんだっけ…

ジャカルタ経由のANA/ガルーダ共同運航便だったんじゃなかったかな!?

AYUちゃん懐かしいな。革屋に転身して田舎へ帰るっていってたけど元気かな~

eimy店長もボクもバリ島で髪を切ってましたね~。eimy店長はどう思ってるかしらないけど、当時で300円くらいだから男のボクは散髪なんぞ安いが正義。

サヌールでイタリアンといえば「マッシモ」一択だったけど、できたばっかりの頃の「ヴィレッジ」にいってみました。内装もスタイリッシュでちょっとお高いけど美味。まぁでもこんなガンガン冷房がきいたレストランで食べるより、オープンエアでちょっと暑い位の中、冷えた白ワインでピザを食べる方がいいな、ということでボクらはマッシモに軍配。

クタビーチとかでJAGUNG BAKAR(焼きトウモロコシ)を食べたくて頼んだら1本2万ルピア(200円)とかいうわけですよ。サヌールのローカル相手の屋台からすればもうアホか!という値段。

「ブラパ?(いくらですか?)」と訊いたら「スリブー(10円)」と。今はもう少し値段があがってるだろうけど…

仕事上がりの夕方はビーチマッサージ。雇われでなく自営で営業している人だと安いんです。1時間の全身マッサージで3万5千ルピア(350円)。今はさすがに5万~7万(500-700円)は取るだろうけど…2004年当時は安かったな~。このアネスさんって女性がすごく上手でいつもわざわざ彼女を探してやってもらってました。

真ん中のジェロさんは日本に来たこともあって親日派。最近会ってないな~

eimy店長も1泊700円水シャワーしかないロスメン(安宿)に泊まります。雨風さえしのげればよいんですよ(笑)

ちょうどニュピ近くだったんだな~。

バリ島の野良犬もこの頃はいっぱいいたけどいつかを境に一気に見かけなくなったときがあったな。噂によると狂犬病のどーたらで処分されたとか。

eimy店長のおともだち達と。



記事内の写真は2005年当時の物ですがこの記事は2019年7月25日に書きました。

2004年4月14日水曜日

バリ島現地買付 2004年4月

ボク単独の渡バリ買い付けでした。
その頃、インドネシア語を猛勉強していて、仕事で知り合ったカーゴ会社のスタッフたちにいろいろ教えてもらってましたね。

出稼ぎでジャワ島から来ているスタッフのアパート。正直、狭いです。稼ぎは人数が多く貧しい実家へ仕送りしているんだそうです。

テーラー屋さん夫婦。奥さんはこの後3人産んで今はかなり太ったな~

雑貨系の卸さん。このお姉さんにはいろいろお世話になったなぁ。いつの間にか消息不明・・・廃業!?

このイブー(マダム)たちは変わらないな~。いまも元気です (笑)

アパレル系の卸屋さん。この方も変わらない。

サヌールの海岸から見るアグン山

サヌールのユリア2というロスメン。当時1泊7~800円くらいで泊めてくれました。水シャワー、エアコンなし。

朝食はつけてくれましたがパンと果物だけでしたね。紅茶やコーヒーは飲み放題です



記事内の写真は2004年当時の物ですがこの記事は2019年7月25日に書きました。





2003年11月1日土曜日

バリ島現地買い付け2003年11月

この時は東京の友人の結婚式に参列し、そのまま成田へ直行しバリ島へ買い付けに行ったんでした。この頃はスマホもなかったし写真があまりのこってないな~



 


サヌールのボンサイカフェと同じ敷地のSARI SANURっていうホテルに泊まったんでした。確かできたばかりかリノベーションされたばかりだったかのプロモーション価格になってて安かったんだよね。
 

当時、サヌールの大きなスーパーのHAARDY’Sの横が空き地だったんだけど、そこに夜になるとおじさんがやってるナシゴレンの屋台があって、それがメチャ美味しかったんですよね~。5000ルピア(約50円)。ブンクス(持ち帰り)してハルディスでビンタンビールを買ってホテルの部屋の外で夜風に当たりながら食べるバリ島飯。最高でしたね。




記事内の写真は2003年当時の物ですがこの記事は2019年7月25日に書きました。




2003年5月24日土曜日

バリ島買い付け2003年5月

この頃海外では”SARS(サーズ)”という呼吸器伝染病が流行っていたんでした。あの病気は最近聞かないけどどこにいっちゃったんですかねー!?

LCCもなくて航空券が高かった当時、他より少しでも安かったコンチネンタル航空を利用していたのでグアムの空港で数時間の待ちぼうけ。

グアムの海の上。「グアムって多分目的地にすることはないだろうね」と当時話してたけど、数年後に子供ができて最初に選んだ旅行先になりました…(笑)

プロモーションということで泊まったヴィラ

GWK

ウルワツ

4回目か5回目にもなると現地での買い付けも慣れてきた感じです。

ドイツで同じようなことをやっているピーターと知り合ってみんなでレンボンガン島へ遊びに行ったりもしました

とはいえ毎日仕事。カーゴ会社で打ち合わせも多かったです




記事内の写真は2002年当時の物ですがこの記事は2019年7月25日に書きました。





2002年10月17日木曜日

バリ島爆弾テロ事件直後の渡バリ

eimy店長は日本で店番、ボク(Hiro)単独での買い付けです。
バリ島爆弾テロ事件 : 2002年10月、バリ島南部の繁華街クタで、路上に止めてあった自動車爆弾が爆発、向かいのディスコ(サリクラブ)など多くの建物が吹き飛んで炎上し、外国人観光客を含む202名が死亡した。
渡航勧告もでていたんだけど…バリに渡ったのがこの直後でした…
焦げた臭いでむせ返りそうな規制線が張られた現場。(献花してきました)





買い付けの仕事はきちんとこなしました。カーゴ会社のシギット君とワヤン君。

カーゴ会社の倉庫では日本に送る荷物のパッキングの立ち合い。

カーゴ会社の社長の自宅に招待されての夕食会




記事内の写真は2002年当時の物ですがこの記事は2019年7月25日に書きました。